時計の4000個以上のコレクションとなると、時間の調整や修理も大変なものでした。
その管理と宮廷時計工場の監督にたずさわった一人が、さきのヴァレンティン・シャリエ神父。
彼はこのように述べています。
「私はその多くをこの手で修理したり手入れしたりした。
今や私はヨーロッパの時計師の誰にも負けないくらいに理論に精通しているにちがいない。
というのは、これほど多くの経験をした時計師はヨーロッパにはいないことは確実だからだ」。
彼が宮廷で時計の管理に当たっていた1730年代から40年代の間、彼のもとで働いていた中国人は約100人いたといわれます。
いかに皇帝の時計遊興が大規模なものであったかが分かります。
その皇帝の時計趣味が、民間の時計工業の発展を促進し、工業化への礎になったならば、それもまたもって瞑すべしというべきかもしれません。
これはまだD&G 時計のような腕時計が一般に普及していない頃の話です。