南北朝の文観(弘真、1278~1357)に至って、立川流は大成されたとされます。
文観は後醍醐天皇の帰依を受け、南北朝廷の争乱にひと役かった人物であるが、彼はさまざまな政争をくぐり抜けながら、各地で立川流の布教を行なったといいます。
しかし、最近ではこうした立川流の歴史は疑問視されています。
仁寛も文観も立川流に直接の関係はなかったのではないかと考えられてきたのだ。
ともに反対勢力の多かった人物だったので、悪名を残すために立川流との関係がいわれたのではないかというのです。
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